今回はラスタ誕生に大きな影響を与えたジャマイカ人の思想家、マーカス・ガーヴェイについて。そしてラスタの神であるジャー・ラスタファリ=ハイレ・セラシエについて説明します。
レゲエの歌の中で、ジャー・ラスタファリ=ハイレ・セラシエと並んでよく出てくる個人名が、このマーカス・ガーヴェイ(ガーヴィーという表記の場合もある)。
代表的なものは、バーニング・スピアのそのものズバリをタイトルに冠した「MARCUS GARVEY」。
(余談だが、この曲が入っている同名アルバム「MARCUS GARVEY」とそのダブ・アルバム「GARVEY'S GHOST」は、ルーツ・レゲエ&ダブの大名盤。お得な2in1CDが出ているのでオススメ。)
ガーヴェイは1887年、ジャマイカのセント・アンという地域で生まれた。
そこは後にボブ・マーレーが生まれた場所でもある。
1914年に彼は首都キングストンで「万国黒人向上協会(UNIA)」という組織を結成。その団体の趣旨は、全世界の黒人は団結して故郷であるアフリカに帰還し、自立した黒人国家を作ろう! というもの。
その帰還する場所の象徴として言われたのがエチオピア。
なぜエチオピアか?
それは、古代エチオピアには高度に発達した黒人文明が存在していた、というようなことを匂わす聖書の記述があるため、現状の白人種優位文明に対抗する精神的拠り所たりえた、という事情から。
このエチオピアを精神的拠点にする思想はエチオピアニズムと呼ばれ、ちょうどユダヤ人のシオニズムと似ていると言える。
ガーヴェイの運動は全世界の多くの黒人に支持されることになり、マルコムXを始めとする、後の黒人思想家にも大きな影響を与えた。
ラスタ思想も例外ではなく、アフリカ(エチオピア)に帰ろう! という主要教義もガーヴェイの思想そのものである。
しかしなんといっても最大の影響は、ガーヴェイが1916年におこなった予言である。いわく
「アフリカに黒人の王が誕生する時、彼は救い主になる」
そしてその王こそが、1930年にエチオピアで皇帝となったラス・タファリ=ハイレ・セラシエだった、というわけ。
セラシエが本人の知らないところで神にされたのは、ガーヴェイの予言のためだったのだ。
マーカス・ガーヴェイの思想とその予言により、ジャーという神にされてしまったエチオピア皇帝・・・。
では、彼自身“神”の自覚はあったのか?
残念ながらそれはなかったようだ。むしろ困惑していたと言った方が近い。彼自身はラスタでもなんでもなく、エチオピアの国教であるキリスト教を信じていた。おそらくラスタファリアンのことは邪教と思っていただろう。
ただ、ガーヴェイの思想の影響も受けていて、黒人国家の代表として全世界の黒人の地位向上、みたいな意識は持ち合わせていた。
だからラスタの思想も一応尊重し、折に触れてラスタへのメッセージを送ったり、66年にはジャマイカを訪れることもした。
この時のジャマイカの熱狂ぶりはすさまじいものだったらしい。
そりゃそうだ。“神”が来たのだから。
ラスタは言うまでもなく、一般の黒人も“救世主”に大きな期待を寄せたことは想像に難くない。
このジャマイカ訪問をきっかけにして、ラスタは一般市民に正式に認知された、と言っていい。これ以降、ラスタに改宗する者、シンパを抱く者が確実に増えたはず。そしてそれはロックステディからレゲエに変化していく音楽にも多大な影響を与えた、というわけ。
ところで、ハイレ・セラシエは74年にエチオピアで起こった革命により失脚。翌年には死亡。この出来事はジャマイカのラスタに大きなショックを与えたが、思想自体が大きく揺らぐことはなかった。
「ジャーの肉体は消滅しても、精神は存在し続ける」みたいなことで。
ボブ・マーレーのシングル「JAH LIVE」は、セラシエの死後すぐにリリースされたものだが、まさに“セラシエ後”の決意表明みたいなもの。
その後、ボブ・マーレーがレゲエ&ラスタの伝道師として世界ツアーをすることにより、レゲエとラスタはセットで世界中の人々に広まることとなる。ラスタとレゲエが限りなくイコールに見られる理由がここにある。